業というのは次の世界で引き継ぎされるというのはインド哲学、自分としては多い気がする。
自分は外因的な理由で狂うことが少しながらあった、内因的ではない、清々しく自分の意思で狂うというのがない、今までの刃傷沙汰は一つを除いて正当防衛だと思っている、周りが煽り、それが巻き添えになり、先生に一人だけ呼ばれた事もある、お前が頭おかしいと非難されるのは心地よくない場合がある、ジレンマであるだろう。
しかし、自分の意思で男らしく狂えばそれこそ精神不安とされる、世の中、英雄らしさが現代的に移り、例えば森長可を狂人と言うのは容易いが文化人、教養人としての側面もあるという。
マチズモ、男尊女卑、それが狂気に見えると言うのは自分は本来、暴力というのが怖いものだという認識がある、親父とは全く違う、前にも言ったが現段階で孫世代だと長男は自分だ、髪をもう少ししっかり伸ばせるならばHUNTER×HUNTERのイルミ=ゾルディックみたいにもなれるだろう、大阪人や在日朝鮮人の気質がゴン=フリークスに似ていると思えるというのは憶測だろうか。
しかし、あまねくキャラの名字と自分の名字が合致するのは実はあまりにも少ないのだ。
バチカン秘密図書館には織田信長との文通、密書があるという、忍者の痕跡である。
ちなみに教戒師のエルナンデスは死んでる。
戦国禁書、広告はこれであってただろうか。
https://youtu.be/P15ixY3CNrk